二代にわたる交流
長男が建築研究調査で寄ったインド・アーメダバード(アフマダーバード)から、師のドーシ先生と、インド学生時代の友人、アイルランド出身のアーサーと撮った写真を送ってきた。
息子は子供の頃からドーシ先生にお会いしていて、研究の助言をいただいたようだ。90歳近くになられているが、お元気で今なお現役である。
今、35年前キャンパスで知り合った友人たちの子供達同士の付き合いが始まっている。
当時アイルランドから留学していた友人は、このキャンパスに戻り教師になっていて、様々な場所で活躍している当時の友人たちを息子に紹介してくれた。アーメダバードは私たちには二代続く故郷になっている。
1979年から7年間インドに留学し、アーメダバードで建築家B.V. DOSHI先生と画家P.C.SAGARA先生のもとで学び、CEPT(環境工科大学)のキャンパスやSangath(ドーシ研究所)では多くの友人をもつことができ、お世話になった。そこでパートナーに出会った。
ドーシ先生は二人の20世紀巨匠のもとで仕事をし、アーメダバードを拠点にインド現代建築と建築教育の礎をつくった方である。ル・コルビュジェのもとで修業し、ルイス・カーンをインドに招き、インド経営大学のインド側建築家として仕事をした。20世紀の大巨匠と密な仕事した稀有な経験者は、この地球上ではもうドーシ先生しかいらっしゃらないかもしれない。
Sangath(B.V.ドーシ氏の建築設計事務所と研究所) 1979~81年 B.V.ドーシ
インド経営大学バンガロール 1977~85年 B.V.ドーシ
Husain-Doshi Gufa(美術館) 1992~95年 B.V.ドーシ
サグラ氏は、ニューデリーの国立現代美術館で特別コーナーをもつ画家であった。他界されたが、家族の一員のように扱っていただき、芸術と自然について学び、充実した時間にしていただいた恩師である。
CEPT大学は現在建築系中心の大きな大学になっているが、創建当時から海外を含めこれからの時代を拓く指導者が集まっていたと聞く。私が滞在した時代は、ダイナミックな二人の師の存在が、個人の学ぶ主体性や創造の自由を尊重する場の雰囲気を作っているようだった。二人の師は、年齢的には日本では戦争体験世代にあたるが、インドではガンディーによる独立運動を知る世代で、独立運動の崇高な精神が教育の深層にあるように感じていた。
アーメダバードは15世紀にはとても栄えたインド・イスラーム都市になっていて、近代では、繊維産業で栄え、ガンディーの活動の拠点の都市でもあった。
Gandhi Ashram 1917年〜 一部チャールズ・コレア
アーメダバードの旧市街はポルと呼ばれる街路で構成される高密度の魅力的な都市が息づき、周辺には階段井戸や太陽寺院など世界文化遺産級の建築が多数残る。
そしてル・コルビュジェの4作品、ルイス・カーン設計のインド経営大学がある。インドを訪れる世界中の建築家や学生は、必ずこの都市に滞在する。
古都アーメダバード (アフマダーバード)やル・コルビュジェの作品(チャンディガール)は世界文化遺産に登録されている。
ADALAJ 階段井戸 1502年
サラバイ邸 1955年 ル・コルビュジェ
綿織物工場経営者協会 1954年 ル・コルビュジェ
インド経営大学アーメダバード 1962~74年 ルイス・カーン